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Feb 10
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色彩都市考

去年の半ばくらいから「色」が気になります。
SONYのBRAVIAのCMはやっぱりエポックメイキングな映像だと思う。あの映像が流れたことで、突然世界にカラフルな色が溢れ出したような少しドリーミーな気分を、そのあとずっと感じてるようだ。コーネリアスの去年でたアルバム「Sensuous」はBRAVIAのCMに影響受けてるみたい。たくさんの人がそういう気分を少しずつ共有してるんじゃないかなーと思う。


あのCMの面白いところは、街に突然鮮やかな色のスーパーボールが街に飛び込んできて、非日常的なでも少し狂気的な風景にガラリと変わっちゃうところだと思う。祝祭的な雰囲気と天災が起こったみたいな雰囲気が同居してる感じ。


それで東京の街を見渡してみると感じるのは色が溢れているのだけど、ネオンの色は違う訳でそれよりも服とかバックとか携帯とかサインとかカーテンの色とか、そういう細々としたものたちが鮮やかな色のものだと、少し気分がハッとなる。だから最近は写真を撮るときも、そういうものを画面の片隅にでも入るようにしてる。


現実の都市だと、あのCMの持つ色による祝祭的な部分は十分に可能性を持ってると思う。そして色の存在が、都市や建築や空間にどう関わってくるかが今回の本題です。


東京はソフトやインテリアの都市だから、看板や広告やサインやディスプレイされてる服やバックや家具、住宅街だとカーテンや緑や自転車などなど、モノたちが主役といえる。そういうモノは夥しい種類のキレイな色からキッチュな色(都市において色の話になると、個人の感覚的な問題に話が行きがちだけど今回はあえて無視)まであるけど、今の東京の風景は色が反乱しているようにみえるのは、建築自体が色に耐えられない素材色を持っていることも1つの要因としてあるように感じる。建築の外装仕上げが、街にあふれる色に耐えられる補色性をもつようなものなら、少しは都市全体の風景も変わるんじゃないかなと。


例えばSANAAのNEW MUSEUMは写真で見ただけだけど、ファサードに”HELL,YES!”と書いた虹の模様の作品(看板?)がついてる。でも、それが全然変じゃなくて建築も作品も映えて見える。それはNEW MUSEUMのプログラムから、様々な色に耐えられるように始めから考慮されてるからだろう。あとアーティストの中村政人はコンビニのネオンのラインだけを取り出したような作品をつくってた。そういうものもあの白い空間で見ると作品に見える(それはアウラとか作品の文脈もあるけどね)。考えてみると美術館のホワイトキューブは、あらゆる作品の補色となるためのものだ。それを逆説的な発想をしてみれば、美術館の作品=街にあふれるモノ、建物の仕上げ=ホワイトキューブのようになれば、それはそれでアリなんじゃないかなと。


夜中に1人で色鮮やかなドリーミーな気分に浸って妄想してるって少しアブナイなぁ。
BGMはもちろんJosé GonzálezのHeartbeatsです。