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Feb 04
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桂離宮で考え中・・・。

桂離宮に行ってきました。正直な感想だと、1度見に行っただけでは見きれなかった感じ。全体として情報量がかなり多いので、3度くらい行かないと無理かも。


で、今回考えたのは桂離宮の持ってる「多様性と対立性」です。


思いっきしヴェンチューリからの引用ですが、例えばサヴォワ邸は外側は水平横長窓の伸びた単純なカタチに整えられてるけど内部はグリッドのように見えて柱の落ち方は所々バラバラになっています。そういうファサードとプランの不一致や矛盾が、内部の住環境の良さを優先するために生まれているなど「多様性と対立性」を持つことは、「名作」と呼ばれる作品にしばしば見られて、それぞれの時代ごとに時代性にあった解釈がなされます。


そこで桂離宮でみられる「多様性と対立性」とは、日本庭園史の中で時代ごとに交互に繰り返してきた「自然に従う」と「自然を造形する」という2つの傾向が共存していることだと思うのです。


ちなみに「自然に従う」のは日本的で「自然を造形する」のは西欧的なものと一般的に考えられるが、実は必ずしもそうとはいえない。代表的な作家として、前者は千利休で後者は古田織部です(織部は利休の弟子にあたる)。利休は路地に木の葉が散っていることを良しとし、織部は松葉のみを撒いて路地をデザインしました。


「自然に従う」側面が現れているのは、この桂離宮自体が「月」を観るための場所としてつくられたことで、これは全体のコンセプトにあたるものです。桂は月の名所として知られていて、書院に付属している月見台を中心に建物の角度は創建当時の月の動きに合わせてつくられています。他にも月波楼をはじめとして、月の名がつくものがいくつもあり、桂離宮は「美しい月をみるための建築」なのです。


対して「自然を造形する」側面はパースペクティブやヴィスタなど、同時代のルネサンスと近似する手法の導入です。敷石道を奥行きのあるように見せるために、だんだん狭めていく工夫や、衝立松と呼ばれる視界を遮るアイポイントとなる松を置いているなど。自然を視覚的な作用をもたらすための要素として造形してます。ただ総体的に見て、マクロな考え方としては「自然に従」い、ミクロなものとしては「自然を造形する」傾向があるように感じる。


このような自然との関係の弁証法的な解釈が、桂離宮の1つ目の「多様性と対立性」だということです。つづく。

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